成熟精子選択法について その3.精子DNA断片化に関する当院の取り組み
3回にわたる精子に関するお話の最終回です。
前回までに精子の役割、精子DNAの重要性、精子DNA断片化の影響などに関してお話をしてきました。今回はその精子DNA断片化に対しての当院の取り組みをご紹介します。
- DNA断片化率測定
当院では精子を染色し、精子のDNA断片化率を測定する検査を行っています。
この検査では、DNA断片化率30%未満を正常として基準値を設けられています。
この“DNA断片化基準値30%”という値ですが、“すべての精子のDNAが平均30%ずつ損傷している”ではなくて、“1億匹の中の30%=3千万匹がDNA断片化している”ですので、残りの『7千万匹の中からDNA完全性を有している精子を選択できれば良し』ということになります。または、DNA損傷率が高い“精子群”の中から無作為に精子を選択する場合、“DNA断片化している精子が受精してしまう確率が高くなる”という確率論になります。
下記に当院のDNA断片化検査の患者分布を下記に示します。
DNA断片化率が基準値以上の患者が3割もいらっしゃいます。
生活習慣やストレスなどが原因で、精子が日に日に劣化しているとの記事もよく見かけますが、3割の患者が基準値を超えるというのはかなり高いのではないでしょうか?このグラフを見る限り、断片化率20%のところに中央値がありますが、30%でなく29.9%ならば正常なのでしょうか? 中央値の20%なら安全だと言えるのでしょうか?
受精卵がDNA修復機能を有していると言っても、その修復機能には個人差があります。未修復の損傷個所や修復ミスが無いとは言い切れません。また、胚発生という大事な時期に損傷修復にエネルギーを費やすのも受精卵の負担になってしまうのでDNA損傷が少ないに越したことありません。
- 精子酸化ストレス度測定
精子DNA断片化の主な要因は活性酸素による酸化ストレスです。
精液内の酸化ストレス度が高い方はDNA断片化率も高い傾向があります。
最近導入した検査ですので、データや分析は今後アップさせていただきます。
- ヒアルロン酸吸着による成熟精子選択法
上記、DNA断片化率測定や酸化ストレス度測定で値が高かった患者にはどのような選択肢が存在するでしょうか?
一般不妊治療中の患者様には活性酸素量を低減させるような生活習慣改善を促すことも行っておりますが、高度生殖医療に進まれた患者様で顕微授精(ICSI)を行う患者様にはヒアルロン酸吸着精子選択法という技術を採用しております。
受精能を獲得した成熟精子はDNA損傷が少なくヒアルロン酸に吸着する性質を有していると言われています。高濃度でヒアルロン酸が含有されているメディウム内では、DNA損傷が少ない成熟精子は頭部がヒアルロン酸に吸着し、尾部は振動しているのですが前進しません。逆にDNA損傷のある未成熟精子はそのままヒアルロン酸メディウム内を泳ぎ回るのです。元気に泳ぐ精子がNGで止まっている精子が良好というのもまた、直感的に違和感を覚えますが、卵子を包み込んでいる卵丘細胞はヒアルロン酸であり、精子はその卵丘細胞に引っ付きながらヒアルロン酸を分解する酵素出して卵子にたどり着くという生理を考えると生化学的にも納得です。
また、実際にヒアルロン酸に吸着する精子はDNA損傷が著しく少なかったという研究発表もあります。アクリジンオレンジ蛍光法という方法で精子を染色するとDNA断片化の無い精子は緑色で蛍光し、断片化した精子は赤色に蛍光します。
アクリジンオレンジ蛍光法で不妊男性の精子DNA断片化率を試験したところ、緑色蛍光(DNA完全性)を示す精子は55%、赤色蛍光(DNA断片化)を示す精子は45%だった。
同様の試験をヒアルロン酸に吸着した精子で試験したところ、緑色蛍光(DNA完全性)を示す精子は99%、赤色蛍光(DNA断片化)を示す精子は1%となり、ヒアルロン酸に吸着する精子はDNA断片化していないという結果となった。
【文献】Spermatozoa Bound to Solid State Hyaluronic Acid Show Chromatin Structure With High DNA Chain Integrity: An Acridine Orange Fluorescence Study
Journal of Andrology, Vol. 31:566-572, No. 6, November/December 2010
この研究結果と相関を示すように臨床現場でも数々の報告があります。
2015年のヨーロッパ生殖医学会において、オーストラリア、メルボルンのCity Fertility Centerでは、複数施設での大規模な研究を行い、ヒアルロン酸吸着法で選択した精子による妊娠は臨床妊娠率が有意差をもって高く、流産率が有意差をもって低かったとの結果を発表しました。
また同様に、イギリスの16施設での無作為比較試験でも流産率が有意差をもって低かったと学会誌のLancetから昨年発表されました。
Lancet 393: 416-422, 2019
不妊治療において、採精後はほとんど男性の出番はありません。
しかしながら、その後の正常受精→良好分割胚→良好胚盤胞→hCG値による生化学妊娠判定→胎嚢確認による臨床妊娠判定→心拍確認による妊娠継続判定といくつもの関門(評価項目)を経ていくなかで、精子DNAの影響はゲノム活性後の後半になるにつれ顕著になっていく傾向が諸々の臨床研究で明らかになってきています。
流産は不妊治療における最後の関門であり、すべての前の事象が複合的に絡み合っているがゆえ、原因の特定が難しいことがあります。
卵子が原因のこともあれば、免疫過剰な母体が原因になることもあり、今回のテーマでは精子DNA断片化も流産率に影響しているとのことでした。
流産とは、精神的・身体的・時間的に非常に負担のかかることです。
ひとつの方法ですべての流産の原因を排除できないとしても精子要因の流産を低減できるのであればかなり意味のあることではないでしょうか。
以上のことから、ヒアルロン酸吸着による成熟精子選択法は臨床的にも有効であると考え、当院では顕微授精(ICSI)を行う際はこのヒアルロン酸吸着法で精子を選択しています。
文責:筋野(品質管理担当室長)
~今週のブログはICSIにフォーカスしてお伝えします~
8月29日(土)には管理胚培養士の平岡がお話しするwebセミナー「卵子と精子のお話し」もございます。培養士目線からわかりやすい言葉で、みなさんからよくある質問を交えてお話しします。ここでもICSIについて詳しくお伝えしますので、理解を深めるためにも是非ご参加ください。
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お子さんを望んで妊活をされているご夫婦のためのブログです。妊娠・タイミング法・人工授精・体外受精・顕微授精などに関して、当院の成績と論文を参考に掲載しています。内容が難しい部分もありますが、どうぞご容赦ください。